2011/04/18
桜も終わり
何故だろう、今月はとても長く感じる。気ばかりが焦っていて、一人であたふたして、4月はまだ半ばを過ぎたばかりでまだまだ今月の残りの日数はあるのに、一人で勝手に疲れていて、どうしたものだか。昨日、昼間に買い物がてら、音楽を聞きながら散歩して、まさに桜吹雪の中を歩きました。天気もよく、柔らかい日差しで、歩くのがとても気持ち良かったです。その帰り道、通り雨に会いました。その瞬間、初めて通り雨というものを父から教えてもらった事を思い出しました。まだ3歳か4歳ぐらいだったと思います。そうしたら私の頭のハードディスクがぐるぐるとフル回転し、父との思い出がどんどん呼び出されました。夏に父が蝉をそっと捕まえてくれたものの、蝉の鳴き声が大きく、びっくりして私が泣き出したこと、よく海に一緒に行き、船の形を見て、あの船は沖合、あれは遠洋、あれは底引き・・・と色々な漁の方法がある事を教えてくれた事、北海道に引っ越しして生まれて初めてのソリ遊び、人体の不思議な事も、歴史のロマンも、、、現在の私の大切な財産ばかり。
思い出に浸るのはいいけれど、買い物の帰り道なのに涙が溢れて止まらず、桜を眺めるふりして立ち止って空を仰ぎ、その瞬間に急いで涙を拭きました。去年、父の十三回忌が終わったというのに、私はまだこうしてちょっとしたきっかけで父を思いだしては涙します。恥ずかしいけれど、しょっちゅうです。さすがに人前ではなく独りの時だけですけれど。まだ消化しきれていないのかもしれないな。
今回の大震災でご家族や友人など、大切な方を亡くされた方の気持ちを思うと、「お悔やみ申し上げます」という常套句はとても違和感を感じます。普通に病院で父と別れ、告別し、供養していてもこんなに辛く涙するのに。かといって私一人、何ができるわけでもないのですが、気持ちに寄り添う事はできます。まずは身近な人への気遣いからスタートだと思っています。
ちなみに、昨日桜を眺めていると、はなびらに交じって時折、花ごとはらりと落ちてきて、妙に花の美しさを感じました。例年、こんな思いにはならなかったのですが、先日は落ちてきた桜の花を幾つか拾い、衝動的に残しておきたいと思い、押し花にしました。


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