2012/02/29
こだわり
2月最後の今日は、東京でも珍しい程の雪が降り、足元が危うい中、レッスンに行ってきました。そして明日は打って変わって暖かくなる予報。いつもこの時期は天候が荒れますよね。でも今年は寒い日が続き、雪の日も例年より多く、北海道で育った私でも、もういい加減コートやブーツはクローゼットにしまいたい気分です。前回のブログで、「拘り」が無くなったという内容を書きました。今、改めて振り返ると、少し誤解が生じそうなので、もう少し丁寧に、書道においての拘りについて書いてみたいと思います。
結論から言うと、どこまでも拘り続けて繰り返し練習を積み、基本が完全に身について、最後の表現の段階となった時には今までずっと持ち続けていた拘りを解放する、という事です。最初の段階から拘りが無いのは問題ですからね。
書道の世界では大きく分けて「臨書」と「創作」がありますが、臨書では自分は何を学びたいのか、何が足りないのか、常に意識しながら技法を身につける事が前提ですし、創作においては、これまで臨書で身に付けた技法をどのように生かし、展開していくかという事を考えなければなりません。また、創作する者にとっては、臨書だけでもダメ、創作だけでもダメ、どちらも両立させていかなければなりませんし、書けば書くほど、両方が大切と感じていきます。もっと言うと、技法を身につける臨書も終わりがなく、書いていくほどに向き合い方が変わってきます。自分の解釈をどのように出していくのか、収め方やバランスをどう取っていくか、筆・墨・紙を変えてみたらどうなるのか、など課題は尽きないのです。
以前、書道の道は「螺旋階段」であるとブログで書いた事があります。早く上に行きたいなら、ぐるぐる回る螺旋階段より、まっすぐの階段の方が早いですが、芸術の世界ではぐるぐる回って、あれやこれや見たり聞いたりして多くを吸収していかなければなりません。でもその積み重ねが後々効いてくる訳です。練習は絶対に裏切らないので、とにかく書くのみ。
それで話を戻して、私の拘りが無くなったという話題に戻りますが、ある作品に取り組み、私なりの解釈を突き詰めていったところ、ある拘りを捨ててしまいました。それは、、、筆で書くという事。「書道=毛筆」という大前提を取っ払い、筆ではない用具によって書いてみました。面白い試みだったと思っていますし、師匠を含め周囲も興味を持って、成り行きを見守ってくれました。でも10年前の私がやったら、師匠はきっと難色を示したのではないかと思っています。
つまるところ、まずはきっちり基本をマスターし、楽しく創作していくという事です。
週末は少し墨の色に拘って創作したいなと思っています。そして合間のちょっとした時間では淡々と臨書をしています。勿論、大好きな音楽をあれこれ聞きながら。明日から3月、どんどん暖かくなり花が咲きだしますね。


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