2012/11/03
無駄ではない無駄
11月に入り今年も残り二ヶ月。本当に早いものですね。日がどんどん短くなり、朝晩、めっきり冷えてきて一日一日冬が近づいてきているのを肌でも感じます。秋が大好きなので、なるべく心地よい秋が長く続いてくれるといいのですが。タイトルにもあるように、書道は「無駄」を生み出し、「無駄」から生まれる、「無駄」が絶対に必要な文化です。人生においても無駄は無いと言われますよね。無駄と言ってしまうと、意味のないもの、役に立たないもの、というイメージが先行しますが、この場合の無駄は、成功の裏にある目立たない存在、とか揺ぎ無い力や技を磨き積み上げていくうえで必要な、でも決して主役とはならない脇役、黒子のようなものだと思います。
例えば、毎日、何かしら書いている私ですが、人さまに見て頂くための字と、人さまの目には絶対に触れる事のない字があります。スポーツ選手であれば試合に出ている時間と人知れず練習している時間、音楽家であれば、ステージに立つ時間と日々練習している時間です。費やしている時間でいえば、後者にかける方が圧倒的に多いのです。これを無駄と言っていいのか。
書道の場合は、実際に書いた量を目で見る事が出来ます。一年間で書いた紙を積み重ねていくと、おおよそ自分の身長ぐらいになります。毎年、年末になるとこれらを一斉整理し、ほとんどは処分、必要な草稿のみ残すようにしています。処分する時、いつも「良く書いたもんだなぁ」という想いと同時に「今すぐ生かされる事は無くても、将来きっと私の血肉となるはずだ」という信念、そして将来の血肉を処分せざるを得ない、一種の寂しさも感じるものです。この繰り返しがまさに修業だと思っています。
私はこの「無駄」を効率化させたいとは思いません。いつまでも一枚、一枚に意識を集中し、拘りを持ち、淡々と書き続けて、そして処分する、というサイクルを続けていきたいと思っています。
昨今、たまに「無駄」は「無駄」と捉えている方がいらっしゃいます(芸術の世界においても)。確かに無駄は無駄でしかない世界もあります。自分がやろうとしている事は無駄が必要な世界なのか、極力、無駄を排除しなければならない世界なのか、少しゆったりと、広い視野で見つめて欲しいものです。決して独りよがりにはならずに。
今夜もどれぐらいの紙を書いては丸め、どれぐらいの墨をすり減らすことやら。


スポンサーサイト