2013/04/12
変わるものと変わらないもの
ちょっと更新をサボっていたら、もう4月も中旬!新年度も始まり、子供のレッスンの問い合わせを頂いたり、企業内のサークル活動ではメンバーが増えたりなど、有難いばかりです。個展の作品創作もだいぶ進み、昨日はこれまで書きあげた作品を全部見直し、撮影し、これから何を足し、何を引くか、、、あれこれと考えていました。さて、全く話題は変わりますが、今朝の新聞折り込みチラシの中の一枚を見た時、「ああ、これだったな」と少し懐かしく、少し深く考えた事がありました。

企業名のロゴ、中国では殆ど毛筆書体なんです。中国に行くと、空港に到着した瞬間から目に入る広告や看板、全て個性のある毛筆体で、私の目は見逃さまいとキョロキョロして、時に立ち止り、時には撮影までしています。私の目には個性溢れるものと映り、格調の高さだったり、親しみだったり、正確さだったり、長い歴史だったり、、、色々なイメージを想起させてくれます。
何故、私はあれだけ滞在中に辛い?思いをしても、また中国に行きたくなるのか。自分でも不思議だけれど、その答えの一つはこれです。筆で書く事に対する誇りを随所に感じ、自国の文化を大切にしていると肌で感じます(勿論、全ての字が上手い訳ではないし、中国ならではの強制されている部分もあると思いますが)。
でも日本の看板や企業ロゴ、私には没個性と感じます。似たような雰囲気、似たような書体、何を見ても「どこかで見たような」気がしませんか?私が今、日本のグローバル企業で、毛筆を用いたロゴとしてぱっと思い出すのは出光ぐらい。他は和菓子屋さんや和食レストランなど。最近の居酒屋やテレビ番組タイトルなどは、あまりにもひどい字で私の感覚では書道のカテゴリーからは外れます。
きっと、はじめは毛筆体にある堅苦しさや、日本や東洋寄りのイメージから離れようとしたのだと思いますが、誰もがその方向に走れば途端に陳腐なものになってします。逆に堅苦しさや日本、東洋っぽいイメージにある強さやしなやかさ、揺ぎ無いものに目を向けると、どこにも負けない個性として光を放つ様な気がします。日本独特の平仮名や片仮名に対してはもっと大切にしてほしいし、確かに中国で生まれた漢字文化ですが、日本にも優れた能書家は沢山いたし、現在において、書法の習得や追求に対しては中国よりも日本の方が遥かに盛んで真面目に取り組んでいます。
日本文化はあらゆる文化を受け入れ、それを改良し、更に解釈を与え、新しいものを作り出す柔軟性を持っていますが、最近の文字に関しては私はあまりにも源流を疎かにし過ぎていると感じています。普段の手書きの文字についても、年齢の割には幼稚な字を書く人が本当に多い。これはもはや仕方なく諦めるしかないのかもしれませんが、本当に残念で悲しい事です。
時代と共に文化は変わるもの、でもそのなかで一筋の鋼の軸は失いたくない。何を変えて、何を変えないか、実はこの見極めが一番難しいのだと思います。本物を見極める目がなければならないのですから。
本物を見極める目を持ち、頑固と言われても大衆に迎合せず本物を書き続けていきたいと思っています。


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