2015/08/28
創意
8月もあと僅か、朝晩は秋の気配も感じるようになりました。特に最近は天気もすっきりしないせいか何か少し寂しい気もしますね。夏の疲れが出てくる時期でもありますので、体を労わりながら過ごしたいものです。先日、臨書が思うように進まない、特に判読しづらい拓本だと線を追えないという質問をされたのですが、これはただただ経験を積むしかない、としか言えません。私も最初から書けたわけではありません。常に字典をひいて点画を確認するという作業を繰り返す中で、少しずつ見えてくるものです。分かりにくい拓本だと、しょっちゅう字典を引く事になり、時間がとてもかかります。でもこの作業を面倒臭がらず続けるだけです。中には石が欠けていて字の半分ぐらいが欠けている場合もあります。そのような場合は飛ばせばいいんです。私は今でも字典を引かない日は無いといってもいいぐらい、とにかく確認を繰り返しています。分からないから書けません、教えてください、ではその時だけ分かった気になるだけで自分の力にはなっていません。語学を学ぶのに辞書もひかずに毎回先生に教えてもらっていては身に付くはずはありませんね、書道でも同じことです。
さて、タイトルにした「創意」ですが、芸術では最も大切なものです。創意のない字はただお手本を真似しただけ。上手に書けていてもそこには書き手の意図や世界観がなければ、芸術としては評価されません。ですからお手本の存在は難しいものだと感じています。理想は指導者が「こうあるべき」「こうしなければならない」という押し付けをしない事、相手の個性を引き出す事も念頭に置いて、一人一人に違ったアプローチをしていく事、学ぶ者は自分がどんな作品を書いていきたいか、常にイメージして取り組む事、そして両者の価値観が一致している事です。書いてみると簡単そうですが、実際はとても難しい事ですね。
ではより具体的な、実際的な話へと進みます。ここからは特に書き手の立場で話を進めます。個性、創意工夫、独創性、世界観・・・芸術では気っても切り離せないキーワード。しかし一歩間違えれば独り善がり、支離滅裂、一貫性が無い、、、等と評される事もあります。良く言われるピカソと小学生の絵の違い、とでも言えばいいでしょうか。そもそも芸術と芸術じゃないものの境界線はあるのか?この話題になると私も正解は導き出せません。ただ言える事は人間は他から影響されずして自分の表現は確立されないということ。
私がこれまでの書道経験から得た回答は、芸術は古典にある、ということです。これは書道だけではなく音楽でも絵画でも、他の分野でも同様なはずです。しかし現代は、足腰が弱く小手先だけのうわべだけで書かれていて、芸術の域に達していない作品が多いという印象は否めません。
私が感じるのは、没個性の作品を書く人ほど、他人の作品を見すぎているように思います。勉強の為と思い先生や仲間の作品を見る、展覧会で色々な人の作品を見る、競書誌では手本を穴が開くほど見つめ、、、ということを繰り返していないでしょうか。勿論、鑑賞する事から得る事は沢山ありますし、他人の良いところを参考にしていく事もとても大切です。でも過ぎてしまうと、自分がなくなり他人のコピーとなってしまいます。そして注意したいのは、見たものが良いものでも悪いものでもインプットされ"自分でも知らないうちに"影響されてしまうということ。
私は創作をスタートするときは、なるべく無の状態にして着手するようにしています。墨場必携でも参考作品が掲載されているものがありますが、私にとっては有り難迷惑なので、活字だけの墨場必携しか買いません。そして書道以外の世界から沢山の表現方法を学ぶようにしています。絵から、音楽から、文芸から、建築物から、自然から、、、色々なものから創作のヒントを得る事が出来ます。芸術性が無い足腰の弱いうわべだけの書作品より、よっぽど参考になりますよ。
暑さも和らぎ、芸術の秋がやってきます。少し落ち着いて「自分の作品」を手掛けてみてはいかがでしょうか?お手本の真似ではない、高い格調を古典から学び、自分の意図を下地にして発展させていく作業、難しく正解がない世界ですが、始めると楽しくて楽しくて、病みつきになりますよ。


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