2016/01/14
波磔と楷書の右払いの違い
暖冬と言われていた今冬も、例年並みの冷え込む日が続いています。本来はこれぐらいの寒さなのに、今までが暖かかったので、例年並みの寒さでも厳しく感じます。今日はズバリ、タイトルの「波磔(はたく)と楷書の右払いの違い」について書いてみます。両方の姿を頭の中で明確にイメージできる方はどれぐらいいらっしゃるでしょうか?中には「波磔」とは何ぞや???という方もいらっしゃるかもしれませんね。少なくとも日常生活の中では「波磔」という単語を口にすることはありませんよね。
私が所有している書道辞典(二玄社)で「波磔」を調べると、、、「筆法の一つ。波のうねりのような筆勢の用筆。左払いを波といい、右払いを磔というのであるから、本来は左右二つの筆を指すのであろうが、現在では多く八分の横画の終筆の大きくうねって右にはね上げるようにして抜いてある筆を指す。」とありました。かえって頭の中が混乱したかもしれませんね。
文章による解説よりも、実際に両方の姿を目にした方が一目瞭然です。二玄社の「新書源」から「道」をひいてみました。


いかがでしょうか?こうして両者を並べてみると違いが分かりやすくなりますね。注目すべきは最終画の方向です。楷書はなだらかに下方向、またはそのまま水平を保つ。これに対し、隷書は右上方向に跳ね上げる(跳ね上げない場合もある)のです。
古典を勉強していると、このルールに矛盾しているものもあります。墓誌銘は楷書的隷書が非常に多いですし、北魏時代の楷書にも隷書の名残が見られます。また爨宝子碑に代表される銘石書には一文字中に複数の波磔の用筆があります(隷書の波磔は一文字中に一箇所だけです)。ただ、楷書が確立された唐時代の楷書では楷書の右払いと隷書の波磔のリズムはしっかり区別されています。
たまにこの区別が滅茶苦茶な字をみかける事があります。長い歴史の中で確立されたゆるぎないものはルールとして、数学の公式のように覚えてしまいましょう。創作をする場合に「やっていい事」と、「やってしまうと無知だと誤解される事」の境界線が自ずと明確になるはずです。難しいのですが、いくら自分の自由な創作といえども、何もかも無視してしまうと、単なる勉強不足と言われてしまいます。これはどの芸術の分野でも同様でしょう。
例えば、作品の全体感は「九成宮醴泉銘」のようなイメージで、清々しく沈着した線質なのに、右払いやしんにゅうが右上に跳ね上がっていると、違和感を感じる訳です。全体のイメージに調和した用筆の使い分けはとても大切です。唐時代の楷書をイメージして書いているつもりが、波磔もどきになっていないか、今一度確認しながら学習してみてください。
せっかく貴重な時間とお金を書道に投資しているんですから、少しずつでもいいから本物を身に付けていきたいと年々、強く感じますし、生徒さんにもゆるぎない確かな実力を身に付けてほしいと思っています。一緒に楽しく学びましょう。


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