2016/06/28
手本
今日は朝から雨模様。湿度が高いものの、気温が低めで救われます。昨日のレッスンで「手本」について、少し生徒さんと自由に話していて、改めて感じる事がありましたので、ブログで私の「手本」のあり方についての意見を述べてみたいと思います。手本については過去にも何度かブログに書いているので、もしかしたら内容がダブるかもしれませんが、その点はご容赦を。
書道教室では先生に手本を書いて頂く度にレッスン料とは別に料金が発生する場合があります。数千円から、公募展対策だと高い場合では数十万円という料金設定も決して珍しくありません。私は手本を書くのにお金を頂く事はありません。手本が必要な生徒さんには指導の一環で書いて渡します。手本が無い方がよい生徒さんには口頭のアドバイスはしますが、本人の力を付ける為にも見守ります。また「手本」が全てではないと、口酸っぱく言い続けています。(この場合の手本は古典を指していません。先生が書いたものです)
このように私は生徒さんの実力と性格を考慮して、手本があった方がいいのか、無い方がいいのか、見極めながらご指導しています。ですから、手本を与えると判断すればそれは私の指導の一環の中ですから、追加で料金は頂きません。また手本を書かない生徒さんに対して、手抜きになっているかといえば、実はむしろ逆なぐらいです。最初に手本を書いて渡さないだけで、書いている過程では何度も添削し、添削のついでに参考として手本を書く場合は沢山あります。
書道という表現を、ひとりひとりがどのように繰り広げるか、可能性をなるべく狭めず、個性を発揮させていくとなると、先生の手本が邪魔になる場合があると思っています。中には、この点を理解して最初から手本は参考としながら書き進める生徒さんもいますが、手本が全てという思いが強い生徒さんは、手本そっくりを目指し、こだわる必要が無い細部までこだわり、逆にこだわるべき点はすっかり蔑ろになり、足腰の弱い、うわべだけを撫でただけのような内容になる事は少なくありません。書道は手本のコピーを作成する作業ではないんですよ。
ですから無条件に新しい課題の度に先生が手本を書いて、生徒さんは言われるまま手本料を払い、手本と同じものを書かせるという指導方法に私は疑問を抱きます。本当に一人ひとりの実力と個性を見極めているのだろうか?その手本が生徒さんの上達を妨げていないか?失敗から学ぶことが最大の勉強なハズではないか?手本が必要なレベルの生徒さんへは、当然のごとく何度でも書いてあげるべきではないのか・・・。何しろ手本を書くたびにお金を要求するなんてセコイですよ、指導者として。
振り返ると、私は師匠から手本を渡されたことは一度もありませんでした。また要求したことも一度もありません。まず自ら草稿を書き、何となく方向性が決まったら見て頂く、をひたすら繰り返してきました。今もそうです。
まさに今、新しい作品の草稿の準備の作業中です。机の上には書道字典や墨場必携、そして手書きメモで一杯になります。少しずつ頭の中が整理され、作品のイメージが固まってから実際に筆を執り草稿を書きます。この段階では誰からのアドバイスもありません。自分で考え練るのみ。産みの苦しみでもありますが、新しい第一歩でもあるので楽しいものです。

せっかく書道を習うのなら、「自分の」作品を書いていく事を大切にして欲しいと切に思っています。手本から離れる勇気も場合によっては必要ですよ。そして「自分の」作品を書くには自分が抱いたイメージを具現化する力が必要ですが、その力は古典からでしか学べないのです。
日頃から古典と創作をバランスよく学習する事、とても大切ですよ。
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