2013/05/14
主役と脇役
ゴールデンウィークも終わり、東京では一気に初夏のような陽気の日もあり、一年の中でも一番過ごしやすい季節を迎えました。外を歩るくのが気持ち良いですね。今年のゴールデンウィークは、やはり個展に向けて創作中心の生活となりました。でもだいぶ作品も仕上がり、上手くいけば夏には少しオフが取れるかな、という状況です。また、子供からシルバー世代まで指導しているせいか、色々なご要望を頂き、その声に少しずつお応えできるよう、隙間時間はレッスン内容の見直しや資料収集もしています。これは仕事の幅を広げる良い機会ですから、楽しく試行錯誤を重ねています。例えば左利きの人への指導に向けて、私自身も実際に左手で書いて実体験し、右手の場合と左右対称にすればいい、ではないという事を自ら経験しています。
さて、タイトルの「主役と脇役」。創作していて、調子も良く気分も乗って来て、どんどん書き続けたいと思う事があります(当然、その逆もあるのですが)。どんどん気持ちが高ぶり、もっと上手に、素敵に、目を引くような作品にしたいと思うわけです。そしてその結果、全ての字が「主役」になってしまったという事がよくあります。自分としては、持てる力を出しきった、なんて自惚れている瞬間ですが、師匠に見て頂くと、「全部の字が張り切り過ぎて、どこを見ていいか分からない」と言われます。もう、何度この言葉を言われたか。全部が優等生の仕上がりだと、全体としてはかえって見栄えしなくなってしまうのです。
主役を引きたてる為に、脇役は敢えて控えめに留めておく事。これが私の今の課題の一つです。敢えて力まず、淡々と存在する美。そしてその脇役があってこそ主役が生きるのですから、脇役は決して適当な存在ではなく、どちらもお互いを必要とするもの。芸術での脇役とは、主役との主従関係ではなく、相互関係なんです。
私なりに修業を重ね、頭では理解できるようになりましたが、これを無意識にできるようにならなければ一人前ではありません。まだまだ半人前ですが、こうして自分の課題が明確に見えてきた事も事実です。少し前では見えていた世界はもっとボヤけた世界でした。
しかしこの主役と脇役、生き方にも通じるように思います。自分の優れた点に目を向けず、劣っているところばかり埋めようとするあまり、自分の長所が分からなくなってしまう事、あると思います。短所を補う努力は絶対に必要ですが、その一方で長所がくすみ出したら本末転倒。
ついでにもっと言うと、書道では墨書全てが脇役であり、余白の紙の白色が主役という作品もあるのです。決して手抜きではなく、意図的に主張せず静かに書きあげる。
創作においても、生きていくうえでも、必要以上に力まず淡々と、自然体で楽しくが一番ですね。


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