2009/08/21
言い訳
八月も後半で、少しずつ秋の話題も耳にします。しかし、報道にもありますが、夏野菜が高いですね。私、料理もかなり好きなんですが、このところの野菜の高値で、近頃、食卓がワンパターン化してきています。常備野菜である人参、玉ねぎ、ジャガイモがものすごく高くて困っています。一見すれば小さな事だけれど、今後の日本の農政策はどうあるべきか、なんて考えたりして。暫くブログの更新を怠っていたんですが、言い訳ではないけれど、書きたい事は沢山あるんだけれど、うまくまとまらず、もう少し頭の中で練ってみてから、、、を繰り返していました。
で、私は何を書きたかったか。一つは何故、書道をする者は「臨書(りんしょ)」を繰り返し続けるのか。臨書は書道をしない人から見れば、疑問に感じる点が多いと思うので、それを解り易く解説できればと思っていたんです。これはずっと前から私の内にあった思いです。
そのため、先週は改めて臨書について書道論を幾つか読み返し、自分自身の理解とそれを照らし合わせたりしていました。ここまでは良かったんですが、そのうち、臨書はさておき、全く別の事について疑問が出てきて、それをどうしても突き止めたくなり、そちらに意識が集中してしまいました。それで結局、先週から書道の歴史を一から勉強し直し、毎日、まるで卒論を手がける学生のように本を片手にノートにまとめているんですね。一言で書道の歴史といっても中国編と日本編がありますが、一気に両方を叩き込もうと、まずは中国編をマスターしてから、その後、日本編へ行ってみようかと。まだ中国編の真ん中ぐらいですが、毎日、色々学んでいます。それにしても、さすが中国、歴史が長い、長い。あの時代に文字があり、文字を残す術があったんだもの、改めて驚かされます。
ということで、本来の「なぜ臨書を?」については、またまた後回しです。私の頭の中では80%ぐらいはまとまってきているので、そう遠くはないと思いますが、そうこうしているうちに、また、別のことに夢中になる可能性も否めないんですよね。
まあ、書道というのはそれだけ奥が深いってことです。
スミマセン、長々と言い訳でした。


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